
第一話
大山街道・古東海道
歴史の道しるべをたどる旅
初秋の街歩きにぴったり! 綾瀬市に点在する歴史の痕跡をたどりながら、ちょっぴりディープな街歩きに出かけませんか? 第一話では、かつて人々の往来で賑わった大山街道と、渡辺崋山も歩いたとされる古東海道のロマンを巡ります。

大山街道:
旅人たちの足跡を追う
まずはバスか電車を降りて大塚本町交差点へ。ここから海老名方面へ向かう市道4号は、江戸時代に大山参りの道として、そして県央の物資輸送路として栄えた大山街道の一部です。道の途中には、当時の面影を残す史跡が点在しています。
かしわ台駅付近から、ゆるい下り坂になります。赤坂バス停のそばに、ひときわ目を引く大きなイチョウの木が現れます。その根元にひっそりとたたずむのは、炎を背負った不動明王像。旅の安全を見守ってきたかのようなその姿は、往時の人々の信仰の篤さを物語っています。この不動明王は、大山を目指す旅人が道中の安全を祈願した証拠。あるいは村人が地域の安寧を願って祭ったものかもしれませんね。



さらに道を進むと、左手にひときわ古い道標が見えてきます。「向テ右 小園 早川 綾瀬村小園」と刻まれたこの石碑には、明治22年に誕生した綾瀬村の名前が記されています。現代では道案内の役目は終えていますが、使命はまだ終わっていません。当時の人々が、どの方向へ、どの場所へ向かっていたのかを具体的に示す貴重な手掛かりです。小園や早川といった地名が当時から使われていることに、歴史の連続性を感じますね。
古東海道:
渡辺崋山が歩いたいにしえの道へ
この道標のところから左手に折れると、ゆるやかな上り「ふわん坂」が始まります。坂の入口には、「渡辺崋山ゆかりの道」と書かれた看板が立っています。ここからが、古(いにしえ)のロマンが広がる古東海道へと誘う道筋です。
現在の東海道(国道1号)は江戸時代に整備されたものですが、それよりもはるか昔、奈良・平安時代には「古東海道」と呼ばれる道が、現在の綾瀬市小園あたりを通っていたと言われています。この道は、都と地方を結ぶ重要な幹線道路でした。




下:今は穏やかな住宅地を下る坂道。かつては都と地方を結ぶ要路だったのかも。
この道にまつわる有名な話が、天保2年(1831年)に画家の渡辺崋山が、絵の弟子である高木梧庵を連れて歩いたというエピソードです。崋山は少年時代に世話になった“お銀さま”を訪ねてこの道を歩いたと伝えられています。お銀さまは相州早川村の出身で、のちに藩主の側室となり世継ぎをもうけましたが、離縁されて故郷に戻ったという波乱万丈の人生を送った女性です。彼女のお墓はこの近くにひっそりとたたずみ、訪れる人々に静かに語りかけているかのようです。崋山が歩いた道をたどりながら、彼がお銀さまに会いに向かった当時の情景を想像してみるのも面白いでしょう。
道沿いには、地元の人もあまり知らないディープなスポットがいくつか言い伝えられています。例えば、かつて街道の脇にあったとされる一里塚の跡や、古い地図にしか載っていない小さな祠(ほこら)など、注意深く探索すればまだまだ発見できるかもしれません。こうした場所は、まさに当時の旅人が目にした風景の一部であり、彼らの息遣いを感じられる貴重なスポットと言えるでしょう。


右:住宅街にひっそりと残る古東海道。注意深く歩けば、新たな発見があるかもしれません。

望地交差点:
歴史の交差点
ふわん坂を下り、そのまま市道をさらに進むと、十字路の「望地(もうち)交差点」に出ます。「望地」という地名の由来には諸説あります。一つは大山を望める場所だったという説、もう一つはこの先にあった旧国分宿や相模国分寺が見渡せた場所だったという説です。実際にこの場所から周囲を見渡してみると、当時の旅人が感じたであろう広々とした景色を想像できます。
このように歩いてみると、今も道のあちこちに当時の名残を感じることができます。そしてこの望地交差点あたりも、かつての古東海道につながる風景の一部なのです。
隠れた歴史を巡る綾瀬旅
大山街道から古東海道、そして目久尻川へと続く綾瀬の歴史を巡る旅はいかがでしたでしょうか? この街には、古代から現代にいたるまで、人々の暮らしと深く結びついた歴史の痕跡が数多く残されています。


歴史好きの上級者の方ならさらに奥深い綾瀬の歴史に触れられるヒントが、街角に残っています。さがみ野駅から御所見にかけては、相模原畑地かんがい用水路西幹線の遺構が残っています。グリーンセンター綾瀬の向かいは、かつて綾瀬の行政の中心であった「旧綾瀬町役場」の跡地。訪れてみる価値があります。これらもまた、綾瀬の発展を支えた重要な歴史の証人です。
秋晴れの一日、ご家族で綾瀬の歴史と自然に触れる「てくてく!街歩き」に出かけてみてください。きっと、新たな発見と感動が待っているはずです。
第二話
目久尻川とサイクリングロード
歴史と自然を結ぶ川の道
第二話では、目久尻川に架かる小園橋を中心に、川にまつわる伝説や地域の歴史に触れていきます。

目久尻川の玄関口「小園橋」
前回の古東海道の旅から、少し足を延ばして小園橋(こぞのはし)へと向かいましょう。この橋は、清らかな流れが続く目久尻川に架かる橋で、あやせ目久尻川サイクリングロードの北の起点にもなっています。この一帯は、あやせ目久尻川歴史文化ゾーンとして整備が進められていて、地域の自然と歴史を身近に感じられる場所です。



橋のたもとに近づくと、かわいらしいカッパ像が私たちを出迎えてくれます。目久尻川には、古くからカッパにまつわる伝説が語り継がれてきました。昔、目久尻川にはいろいろなカッパが住みついて、悪さをすることもあるけれど、困っている人を助ける心優しい一面もあったとか。このカッパ像は、そんな目久尻川の守り神として、子どもたちの安全を見守っているのかもしれませんね。カッパの伝説に思いをはせながら、川のせせらぎに耳を傾けてみましょう。
続いて、綾瀬市の西を流れる目久尻川と、その流域に広がるあやせ目久尻川サイクリングロードの魅力を探ります。

綾瀬の歴史と暮らしを
育んだ清流
目久尻川は、相模原市南部から水を集め、綾瀬市内を南下して相模川へと注ぐ全長約10キロメートルの一級河川です。その清らかな流れは、古くから綾瀬の人々の暮らしを支え、地域の歴史を育んできました。


ところで、この「目久尻」という珍しい名前、気になりませんか?その由来にはいくつかの説があります。一つは、かつて目久尻川に住みついたとされるカッパにまつわる伝説からというもの。昔、カッパが田畑を荒らしたため、住民がカッパを懲らしめ、その目玉を「くじり(抉り)取った」ことから「目くじり川」と呼ばれるようになったという、やや恐ろしい内容です。もう一つは、より歴史的な背景を持つ説です。かつて目久尻川の上流から川に沿って「御厨(みくりや)」と呼ばれる寺社への供物供給地が広がり、その下流の限界地点を「御厨尻(みくじり)」と呼んだものが転じて「めくじり」となったという説です。珍説の一つに、アイヌ語由来説があります。「泉の土地」を意味する「メム・シリ」がなまったのではないか、という説です。台地を削るこの川は、至る所で湧水がみられます。地形をみると、まんざらウソでもなさそうです。どの説も、この地と水、そして人々の関わりの深さを教えてくれます。
目久尻川の流域には、旧石器時代から現代にいたるまで、約4万年もの人々の生活の痕跡が凝縮されていると言われています。特に、神崎遺跡や吉岡遺跡群など、弥生時代や古墳時代の集落跡が数多く発見されており、この川が古代から豊かな恵みをもたらし、人々の営みの中心であったことを物語っています。
江戸時代以降も、目久尻川は農業用水として重要な役割を果たしてきました。流域に広がる水田は、この川の水によって潤され、綾瀬の豊かな実りを支えてきたのです。また、川を利用した水車なども存在し、人々の生活に密着した存在でした。


下:神崎遺跡に復元された竪穴式住居。ここで古代の人々がどんな生活をしていたのか、想像力が膨らみます。

あやせ目久尻川サイクリング ロードで歴史と自然を満喫
この目久尻川のせせらぎに沿って整備されているのが、「あやせ目久尻川サイクリングロード」です。小園橋を北の起点とし、南は用田橋(藤沢市)付近まで続くこのサイクリングロードは、四季折々の自然を楽しみながら、綾瀬の里山を肌で感じられる絶好のコースです。
自転車で風を切って走れば、田園風景や斜面林など、日本の原風景を思わせる美しい景色が広がります。春には桜並木が彩り、夏には青々とした稲穂が風に揺れ、秋には黄金色のじゅうたんが敷き詰められます。鳥のさえずりや川のせせらぎに耳を傾けながら、のんびりとサイクリングを楽しんでみてください。
サイクリングロードの途中には、五社神社のような歴史ある神社も点在しています。五社神社は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征の際に地神五大を祭ったのが起こりとされる由緒ある神社です。境内の大きな木々や、歴史を感じさせるたたずまいは、サイクリングの途中に立ち寄ることで、より一層、綾瀬の歴史と自然の奥深さを感じさせてくれるでしょう。目久尻川の豊かな恵みと、この地を守り続けてきた人々の信仰が、今も息づいていることを感じられるはずです。
