湘南のコラムニスト諸星千鶴さんが贈る、
地元の出来事やおいしいモノのお話。
毎日忙しいママたちも、クスッと笑えて
元気になれる共感度100点満点??のお話です。
稲刈りが終わると、里の風景はガラリと変わります。秋風が田んぼを吹き渡り、ススキにコスモス、秋の虫。長靴を履いて、子どもと手を繋いであぜ道を歩くだけで、足に感じる草木、耳で聞く風の音、頬に感じる空気さえ、忘れられない思い出になるのではないでしょうか。
田舎育ちの私は、春夏秋冬、毎日当たり前のように田畑を走り回って、日が暮れるまで遊び回っていました。近所の子どもらと泥だらけで今日はあっち、明日はこっちと、村じゅうの田んぼや畑を我がモノ顔で闊歩(かっぽ)しながら育ちました。とくに縦横に無数に広がる「あぜ道」は、用水路があったり、枝豆や桑の木などを植えてあったりして、村の子どもたちにとってはワクワクの絶好のアトラクション。たまに田んぼに転がり落ちたりして、泥だらけを親に怒られたりしながら、今思えば楽しい思い出ばかりです。
そんな私も大人になり、いざ、自分が子育てをする身分になったときには、ずいぶん田んぼや畑と縁遠い生活をすることになっていました。
直感で子どもにとって「自然の中で遊ぶ」ということは必要なことだと分かっていましたから、我が子はキャンプ場とか、スキーとか、公園などによく連れていきました。でも、「里山で遊ばせる」という事は、あまりしませんでした。それは、私の中であまりにもそれが当たり前のことだったこと。そして、あえて大人が子どもに教えてやるものとも思えず、我が子を何もない里山で遊ばせるということをやらずにいました。
それでも、やはり自分が楽しかったことを教えたいと、実家の田んぼや畑に連れていったことくらいはありましたね。「あぜ道を歩くのはとっても楽しいよ」と。小さかった娘と息子に長靴を履かせて、手を引いて、秋のあぜ道を歩いたことがありました。
オドオドと歩く子どもたちに、なんとか「あぜ道の楽しさ」を教えたいと。鈴虫やバッタ、イナゴやキリギリスなどをワッシャ、ワッシャと捕まえてふくろに入れたり、はぜがけ(お米を乾燥させるために田んぼに立てる)の棒に止まるトンボを、後ろからソーっと捉え、細い糸をつけて飛ばしたり。草笛を吹いて、ススキを持って行進してみたり。「どうだ、どうだ、これでもか」と母の実力を見せつけたのでした。
そんな(恐ろしい?)母の様子を見て、子どもたちは喜ぶどころか、今で言う「ドン引き」の様子。元から不安げに歩いていた娘はとうとう立ちすくみ、クルッと後ろを向くと「ママ、ここは誰の土地? 歩いちゃダメな場所じゃないの? 帰ろう、帰ろう」とグイグイ手をひっぱり始めました。確かに。いつもは「そっちは、道じゃない。人のお家だから入っちゃだめ」とか、日々言い聞かせていますし、一理あります(常に村中のあぜ道を我がモノ顔で歩いていた私は、このあぜ道が誰の土地かとかなど、考えたことがありませんでしたが)。草ボウボウで、凸凹のあぜ道をヨロヨロ歩いていた息子も「ママ、道に行こうよ」と、近くの舗装された道を指さし始めました。彼にとっての道とは、人や車が通る整備された道。その後、二人は、慣れないあぜ道で何度も転び、とても痛い思い出になってしまったようです。
今年、暑い夏も終わった秋の休日。そんなことを思い出しながら稲刈りの終わった故郷の田んぼを眺めていると、村を見下ろすあぜ道に、村のおばあが座っていました。近くまで行って挨拶をすると「おや、ちぃちゃんか(私は今も昔も、実家のある村ではちぃちゃんと呼ばれている)。珍しいなぁ」と何度目かの私の昔話が始まりました。それは、私と私の弟の子どもの頃の話です。
私の弟が、ある日、ランドセルを背負って田んぼのあぜ道を歩いて学校から帰ってくると、あぜ道とあぜ道の間に用水路がある場所まで来て、立ち止まったのだと言います。用水路には、ジャージャーと水が流れています。おばあが畑の手を止めて、どうするかとジーッと見ていると、弟は飛び越えるか、やめるかしばらく悩んだあと、クルっと振り返って、近くから板を運んでくると用水路に橋をかけ、その上を悠々と歩いて渡っていったそうです。そして、その後、姉の私がランドセルを背負って同じ場所に着きました。私はまったく立ち止まる様子なく。一声、大きな声で「トォー」と叫ぶと、靴のまま、その用水路に飛び降り。そのまま「ザブン、ザブン」と音を立て、用水路の中を歩いて帰って行ったのだと言います。それを見ていたおばあは、腹を抱えて笑い、「姉と弟でこんなに違うものか」と、近所の茶飲み話で百遍くらい話をしたと言います。
その話を聞いた夫は大受けし、「お前は、大人になっても性格が変わらないなぁ」と、おばあとゲラゲラ。今も石橋を叩いて渡る弟と、進化のない私。人間の本質は、あぜ道を歩くと分かるのかもしれませんね。
その時、おばあがエプロンに溜め込んでいた栗をもらいました。簡単に栗ご飯にしましょう。栗を剥くのは硬いし、手も黒くなるので嫌い。私はゆでて柔らかくしてからご飯にします。簡単ですよ。栗はゆでて冷凍しておけば、いつでもお好きな時にチンして使えます。実はキムチに合わせてもおいしいしのでぜひお試しを。
調味料は塩だけ! 炊飯器で炊く「栗ご飯」簡単レシピ(2合)。
<材料>
• 栗…300g程度(目安)
• 米…2合
※好みで0.5合分くらいもち米に代えれば、もちっとした食感に仕上がります
• 塩…小さじ1
• 水…いつもお米を炊くくらい
<作り方> 栗は、よく洗い、塩を小さじ一杯ぐらい入れて小鍋でゆでます。ゆでたらしばらくそのまま冷えるまで置きっぱなしに。冷えたら栗に切れ目を入れて、スプーンでくりぬき、米と塩を入れてセットした炊飯器の中にくり抜いた栗をボンボン投げ込みます。炊飯のスイッチ押して、以上おしまい。シンプルですが、栗のおいしさが引き立つ簡単、おいしい作り方です。栗が柔らかい分、栗が割れますが、それがごはんと一体感を醸し出し私は好きです。栗ご飯というとちょっとめんどくさそうですが、お弁当にもピッタリで、子どもたちも大喜びです。
諸星 千鶴
人気の地域情報紙「湘南よみうり」の編集長を務めたのち、企業のサポートなどを行い、現在はりえぞんプロダクツ株式会社の代表として、企業広報や地域広報に携わる制作会社を絶賛経営中。ジモトを愛し、東奔西走する毎日。食べることが好き(でも好き嫌いは多い)、家事は下手。ラグビーとランニングを愛する1男1女の母。52歳。安曇野市出身、藤沢市在住。